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思考そのもののなかで思考するという行為を産み出すべきであろう。


by hey-yo-happyidiot
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じょせい。

  女性はいくらでも演技できるから怖いのではない、
  本性を隠すことがたやすくできるからおそろしいのではない。

  女性のこわさは、
  いつ怒り出し、いつ不貞腐れるか分からないところにある。
  そして、それにはたいていのばあい、
  理由がない。

  だからこそ、一人の女性を真剣に愛すべきだと僕は思っている。
# by hey-yo-happyidiot | 2011-04-24 02:40

そこから。

  突然噴出する想いには
  常々幾重にも重なりあったものがあることに気づくまで
  よほど時間がかかるものではあるが、
  そういったことを一つ一つ解きほぐしていくと
  今、自分が置かれているのっぴきならぬ現実というものが
  まだ現実を感じる前から
  いま、まさに、そこにあるということを知ることができるのではないだろうか。

  とつぜん、
  こうやって書きたくなる
  なぐる書くような感情とそのキフクは
  はたしてどこからやってくるのだろうか。
  神でもなく脳でもない。
  ふざけるなというその声は、
  おい、こらというその怒声は、
  なにやっとるんじゃというその罵声は、
  ぼくの小さな部屋から発出しているのだろうか。

  夜中につぶやく言葉など見つかったためしがないようにかんじる。

  ある宇宙飛行士が壁に何度も頭をぶつけたらしい。
  もちろんそれは無重力空間での出来事。
  いくつのたんこぶが重なって、
  いくつの衝撃に跳ね返ったのか。
  痛みは、ぼくのいたみは、あなたのいたみは。

  遠くへと飛ぶことばかりを考えていたあのころとは
  いつのことか。
  閉じられた空間が嫌いで、
  そこから抜け出せば
  何もかもが一心すると思っていた。
  それはそれはあまりにもあさはかな考えだった。
  今になって思い知る。

  むしろ、打開すべきはその閉じた空間に穴を穿ち、
  さらに奥へと突き進むことではなかったのか。
  外に期待すべきこととは、
  あたかもわかりやすきもの。
  しかし、そのときにいう外とは、
  真に開かれて抜け出せた外ではない。
  むしろ外は我が内に穿った穴ではないだろうか。
  ぼくらに襲い掛かるマスメディアを通して、
  確かに、ぼくらはいくらもの情報を仕入れることができる。
  しかしそこには検閲もあれば漏れたしまったのも当然ある。
  とはいえ、そこで知ったものとはなんだろうか。
  ぼくらに伝えたものとは。
  はっきりと分かることが一つある。
  それはぼくらにはどうやってもできないことがあるということだ。
  決してそこから目を背けてはいけない。
  
  何でもやれてしまうという思い込みこそ危険なものはないと、
  そしてぼくは多くのできないことで満ちている。
# by hey-yo-happyidiot | 2011-04-24 02:35

ああ、うるわしきかな。

  これは全くもって個人的な意見ではあるが、
  経済的なものはそもそも地域的なものではなかったのか。
  いや、それならば、政治的なものも同じようにそうであろう。
  そして、その地域という上で最も重要なのは、
  場所である。
  アダム・スミス、リカードウにせよ、
  問題はイギリスにある。
  それがいつしか、マクロ経済学やミクロ経済学によって、
  経済そのものは普遍化され、
  ミクロにいたっては、
  ある一定の主観性を前提にして考察されている。
  まったくもって、場所は欠如している。

  それは、ありとあらゆるものに手を出してゆき、
  グローバル化していったからだろうか。
  欲望が加速して手につけられなくなって、
  ダーウィンの悪夢を観ながら、
  フィッシュバーガーを食らい、コーヒーをすするのか。
  あそこではこれを補い、そっちではあれを補い、
  網羅された都市は気だるい溜息をつくのを嫌がり、
  目に見えない何者かに突き動かされているのだろうか。

  すべて、それらは必要だったのかという問いは出てこない。
  なぜか?

  雇用の問題か、
  経済の問題か、
  人口の問題か・・・。

  もはや頼みは世の知の巨人のみ。
  しかし、誰も手がつけられないらしい。
  なぜか?

  何が僕たちをここまでに稼動させているのだろうか?
  一体、何者が僕たちを今、この現在に足枷を繋げているのだろうか?

  それは、支配者、権力者、資産家たちではない。
  彼らはむしろ、扇動させられている立場にあるのだから。
  貨幣経済か?
  それは何度も言われ続けられてきたが何の答えも見出させなかった。
  欲望か?
  いや、それもまた同様。
  幻想か?
  それもまた、同様。

  答えがない。
  いや、そもそも答えが必要だったのだろうか?

  飢えない、渇かない、寒くない、
  それで十分としたのはエピクロス。

  これはいけない。
  中途半端な教訓じみた文句は今、必要ではない。

  しかし、その飢えない、渇かない、寒くないのは、
  紛れもなく、ある場にいるある人間のことである以外に何があるのだろうか?
  まさに、その場にあるものでどうにかしようという向きはない。

  僕はナショナリストではない。
  なぜなら、国という単位にいささか疑問だからである。
  国なんてものよりもっと小さな単位。
  それは、県でもなく、市でもない。
  町・・・いや、村くらいでちょうどいいのではないか。
  だが、今さら引き返せはしない。
  それは大きくなりすぎたからではない。
  交通網があまりにも発達しすぎたからだ。
  道路は都市に向かおうと田舎に向かおうと関係なく、
  様々なモノが輸送され、また消費されてしまう。

  開かれるにはまず閉じなければならいのではなかったか?
  リベラルとは何だったのか?
  エピクロス、スピノザのような周縁の思想家はどこにいるのだろうか?

  少なくとも分かったことが一つだけある。
  それは、場所、足元がどこにもないということだ。
  そして、それにもかかわらず、どうやら立派に歩いているようである。
  今のところ違和感もなく。

  アテナイの人々に投げかけたソクラテス、
  オランダを嘆いたスピノザ、
  思想家に普遍性はない。

  一体、僕は何に突き動かされてこの文章を書いているのだろうか?
# by hey-yo-happyidiot | 2011-03-29 02:34

それぞれ。

  計画停電や節電ダイヤや余震、放射能への不安の中でさえ、
  大切なことはできる。
  そして、今までの暮らしの方が異常だったのだと思うこともできる。

  僕があえて今、ファインダー越しに覗くのは
  あくまでも日常である。
  
  政治からも経済からも、そして社会的なものからも
  一見遠いように見えてしまう、
  そんなものたちを今一度見つめたい。

  呑気なことのように思われるだろうが、
  これこそが最も辛辣な反抗だと
  僕は心から思っている。
# by hey-yo-happyidiot | 2011-03-26 00:39

ひび。

  おもく幾重にもかさなった口を開けるたびに
  できるかぎり、ため息だけは出さないようにした・・・。

  そんなことは大いなるうそです、虚栄です。

  つんと底冷えのするような春が
  胸の奥までまっさらな何かを突き刺してゆくようで、
  少しだけうっすらとした空模様に
  心を許してみようかと思ったんです。

  ある限界と終わりが垣間見えると、
  それが運命とか自然とかよりも、
  むしろ何者かに強引に捻じ曲げられてしまったかのように思ってしまう。
  でもね、それが一つの受け入れないといけないことなのかもしれません、
  と、悟りを開いたような顔をしてみても、ゆってみても、
  結局、何かが胸の奥でつっかえているんです。

  遠くのことは絵空事、触れたものは有象無象。

  くたばっちまえと言いたくなるのは、
  本当は他ならぬ自分自身ではないかと思ってみたんだけども、
  やっぱりそれも悟り面でよくないから、
  それらの文字の羅列をティッシュに包んで、
  少しでも遠くに放り投げたんです。

  どんな些細なことも
  どんな小さなことも
  どんな細かいことも
  体の片隅にそっとしまってあることを
  心の片隅に置いてもらえるととても嬉しいんですと、
  囁かれているんだけれども、
  その囁いている人って一体誰なんでしょう。

  明日のことはわからないと思っていたのですが・・・。

  驚いてみせたり、
  悲しんでみせたり、
  怒ってみせたり、
  そんなことばかりで、
  それらの姿を見ている自分は普段、どこにいるんだろう。

  すっと立ち上がる力とうっすらと笑う気持ちだけあれば
  どうにかやっていける。

  そして、今日も夜になれば眠るだけのことなんです。
# by hey-yo-happyidiot | 2011-03-25 01:13