ぶるーすはとおく。
2011年 09月 22日
ブルースの歴史を辿りたいのだが、
論文があって休憩中。
ただ、このブルース探索は僕にとって多大なる影響をもらった。
それは、オリジナリティの不在、著作権や所有の問題、
植民地の問題、西洋主義への疑惑と、
てんこもりの問題群がぞろぞろ現われた。
そんな中でも今の自分にとって最も大きかったのは、
オリジナリティなるものがさほど重要でないことである。
つまりは、突如新しいものは生まれないということ。
無から有は決して現われない。
絶え間ない系譜の中に自分もいること、
それでとりあえずはいい。
自然は、私たちの意に反して、いや、意を全くもって知らずに、
ただただ、そこにある。
だが、そこにできるだけ一気に身を入れると、
自ずと自分の血に混じる何かを感じる。
それで十分であり、それが何かを語れたら、
もうそれだけで達せられたと言っても過言ではない。
私は、確かにたった一つのものであるのだけれども、
その私は私の感覚や知覚、知性や理性ではとうていおよばない何ものかで、
できている。
その系譜をどう辿るか、どういう視点で見ていくのか、
それが重要なポイントとなって現われるはずだ。
今の僕にはそういった思いが遠くからやって来る。
論文があって休憩中。
ただ、このブルース探索は僕にとって多大なる影響をもらった。
それは、オリジナリティの不在、著作権や所有の問題、
植民地の問題、西洋主義への疑惑と、
てんこもりの問題群がぞろぞろ現われた。
そんな中でも今の自分にとって最も大きかったのは、
オリジナリティなるものがさほど重要でないことである。
つまりは、突如新しいものは生まれないということ。
無から有は決して現われない。
絶え間ない系譜の中に自分もいること、
それでとりあえずはいい。
自然は、私たちの意に反して、いや、意を全くもって知らずに、
ただただ、そこにある。
だが、そこにできるだけ一気に身を入れると、
自ずと自分の血に混じる何かを感じる。
それで十分であり、それが何かを語れたら、
もうそれだけで達せられたと言っても過言ではない。
私は、確かにたった一つのものであるのだけれども、
その私は私の感覚や知覚、知性や理性ではとうていおよばない何ものかで、
できている。
その系譜をどう辿るか、どういう視点で見ていくのか、
それが重要なポイントとなって現われるはずだ。
今の僕にはそういった思いが遠くからやって来る。
# by hey-yo-happyidiot | 2011-09-22 02:57















