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頭上の月、足元のブラジル。

月が眩しい。足の下はきっとブラジル。真昼間の炎天下なのだろうか。

年の瀬。毎年のようにやってくる。当然のこと。それにもかかわらず、この時期に人身事故と称する自殺が多くなる。生きている人間にとって、その死は、あくまでもその人個人の、過ぎて故人の事情でしかないと思っている。毎年思う。本当にそうだろうかと。よく現代は死が遠くなったなんて言う人がいるけど、本当にそうだろうか。少なくとも、私はこの頃、出かければ必ずと言っていいほど顔も名前も知らない人の死の知らせを耳にしているようにしか思えない。

今年の夏前くらいだっただろうか。インドで30分に一人の農民が自殺しているというニュースを知る。新自由主義改革に苦しんでのことらしい。死はただ単に個人の内的な問題だけでおさまりはしない。死はその人を取り囲む状況や雰囲気が引き起こしてしまうものではないかと思う。「いかなる物も、外部の原因によってではなくては滅ぼされることができない」(第三部定理四)と言うスピノザの言葉に耳を傾けたくなる。とはいえ、「外部」をどう解釈すべきかという問題は残る。しかし、とにもかくにも、「なぜ死ぬんだ?」とか言って、その人の死を責めることよりも、「なぜその人は自殺しないといけなかったのか」と問うことの方が正当ではないだろうか。確かに、電車に飛び込んだその死と私たちは関係がないのかもしれない。が、しかし、電車に飛び込ませてしまった状況や雰囲気は私たちと共有しているものではないだろうか。

毎日のように歩む駅のホーム。ぶら下がった駅名。時刻表。電光掲示。ベル。アナウンスが流れる。電車がホームに入る。乗車。むわっとした空気。無機質な顔と陽気な顔。トンネル。アナウンス…。きりのない日常が、異常を生むのではなく、すでにその「日常」は「異常」でしかないのだろう。そして、それを見過ごして、通り過ぎてゆく人波。私もその中に埋もれながらどこへゆくのだろうか。

月が眩しい。足の下にはブラジル。真昼間の炎天下の中。

by hey-yo-happyidiot | 2011-12-11 02:36

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