IE9ピン留め

頭上の月、足元のブラジル。

月が眩しい。足の下はきっとブラジル。真昼間の炎天下なのだろうか。

年の瀬。毎年のようにやってくる。当然のこと。それにもかかわらず、この時期に人身事故と称する自殺が多くなる。生きている人間にとって、その死は、あくまでもその人個人の、過ぎて故人の事情でしかないと思っている。毎年思う。本当にそうだろうかと。よく現代は死が遠くなったなんて言う人がいるけど、本当にそうだろうか。少なくとも、私はこの頃、出かければ必ずと言っていいほど顔も名前も知らない人の死の知らせを耳にしているようにしか思えない。

今年の夏前くらいだっただろうか。インドで30分に一人の農民が自殺しているというニュースを知る。新自由主義改革に苦しんでのことらしい。死はただ単に個人の内的な問題だけでおさまりはしない。死はその人を取り囲む状況や雰囲気が引き起こしてしまうものではないかと思う。「いかなる物も、外部の原因によってではなくては滅ぼされることができない」(第三部定理四)と言うスピノザの言葉に耳を傾けたくなる。とはいえ、「外部」をどう解釈すべきかという問題は残る。しかし、とにもかくにも、「なぜ死ぬんだ?」とか言って、その人の死を責めることよりも、「なぜその人は自殺しないといけなかったのか」と問うことの方が正当ではないだろうか。確かに、電車に飛び込んだその死と私たちは関係がないのかもしれない。が、しかし、電車に飛び込ませてしまった状況や雰囲気は私たちと共有しているものではないだろうか。

毎日のように歩む駅のホーム。ぶら下がった駅名。時刻表。電光掲示。ベル。アナウンスが流れる。電車がホームに入る。乗車。むわっとした空気。無機質な顔と陽気な顔。トンネル。アナウンス…。きりのない日常が、異常を生むのではなく、すでにその「日常」は「異常」でしかないのだろう。そして、それを見過ごして、通り過ぎてゆく人波。私もその中に埋もれながらどこへゆくのだろうか。

月が眩しい。足の下にはブラジル。真昼間の炎天下の中。

# by hey-yo-happyidiot | 2011-12-11 02:36

ぶるーすはとおく。

  ブルースの歴史を辿りたいのだが、
  論文があって休憩中。

  ただ、このブルース探索は僕にとって多大なる影響をもらった。
  それは、オリジナリティの不在、著作権や所有の問題、
  植民地の問題、西洋主義への疑惑と、
  てんこもりの問題群がぞろぞろ現われた。

  そんな中でも今の自分にとって最も大きかったのは、
  オリジナリティなるものがさほど重要でないことである。
  つまりは、突如新しいものは生まれないということ。
  無から有は決して現われない。
  絶え間ない系譜の中に自分もいること、
  それでとりあえずはいい。

  自然は、私たちの意に反して、いや、意を全くもって知らずに、
  ただただ、そこにある。

  だが、そこにできるだけ一気に身を入れると、
  自ずと自分の血に混じる何かを感じる。
  それで十分であり、それが何かを語れたら、
  もうそれだけで達せられたと言っても過言ではない。

  私は、確かにたった一つのものであるのだけれども、
  その私は私の感覚や知覚、知性や理性ではとうていおよばない何ものかで、
  できている。

  その系譜をどう辿るか、どういう視点で見ていくのか、
  それが重要なポイントとなって現われるはずだ。


  今の僕にはそういった思いが遠くからやって来る。

# by hey-yo-happyidiot | 2011-09-22 02:57

目のある金縛り。

  突如現われて、私の身体を固まらせ、
  じっと私を見つめている何者かは、
  一体どういうつもりなのだろう。
  私はそいつの顔を見ることもできないし、
  声さえも私の耳には届いてこない。
  しかし、だからといって、私はそれを無視することができない。
  否応なしに私に迫る。
  何の要求もなく。
  しばらくじっとしているとその締め付けはゆるくなってゆくのだが、
  私にはそれが何者かいっこうにわからない。
  放っておくことも可能だが、
  どうにかこうにか食らいつきたいと、
  もがいてみる。
  目を開けた金縛りといったとこか。
  しかし、私はそれの気配と息吹を感じている。
  私の声は閉ざされ、目は空を舞う。
  皮膚の穴からでる汗さえ途絶える。
  私はそれを知りたい、というよりも、
  それと向き合わなければ、私は私であることを失いそうな気もする。
  ある瞬間、それは現われる。
  私は何者かと対話しているようにも思う。
  わからない、わからない。
  聞こえない、聞こえない。
  静まり返る私の感情は記録としてそれが持ってゆく。
  どこへ?
  私の知っているはずの場所なのだが、まだわからない。
  遠いのか近いのかさえわからない。
  まだ見ぬわけではないはずのそれが一体何者なのか。
  これは私にとって生涯の問いであるが、
  それはまた馬鹿げた問いでもある。
  執拗に私の身体を締め付けるそれは、私への問いだろうか。
  その問いの中味は私で開かなければならないのだろう

# by hey-yo-happyidiot | 2011-08-28 00:37

忘れちゃいけない想いを一つ。

  ある女性を愛したなら、
  あとはしっかりと抱いていなくちゃいけない。
  簡単に離してしまったら、
  二人の関係が崩れてしまうだけではない。
  自分自身が破損して崩壊してしまう。
  ある意味、否定的な捉え方ではあるが、
  それだけ、ただの他者である彼女という存在は
  私の精神の中に浸透しているのだ。
  そのことにようやく気づいた。

  愛情はただただ体を重ね合うだけではないのは当然で、
  それよりも、何気ない会話や仕草の中に溶け込んだ
  彼女の存在に気づくこと、
  それが最も大きな愛情ではないだろうか。
  それはもはや取り返しのきかないもので、
  もう彼女が私にとって必要不可欠な存在であることを示している以上のものはない。
  
  微細なところに入り込んだ他者のニオイは決して拭い去ることができない。

# by hey-yo-happyidiot | 2011-06-29 02:43

ああ、なつかしきかな。

  いっさいはむなしくすぎゆくのみ、
  ということにしよう。
  自分の中で。
  一つ終わって、また何かが終わる。
  はじまりなんて期待もしていないときに勝手にやってくるものだから。

  とおくに行ってしまったんだろうね、
  って、ようやくになってわかったときは、
  ときすでにおそしか・・・。

  でも、だからこそ、
  目一杯好きなことをやってやろうじゃないか。
  たとえ、悲哀な感情ばかりでも。

  哀しくもなく、寂しくもない、ほうっとしているのも事実。
  常に向いている方角は確かな何か。
  それを教えてくれるのは何なのかは謎。

  とにかく、今はロネッツのbe my babyを聞くしかないさ。

# by hey-yo-happyidiot | 2011-06-28 02:43

< 前のページ 次のページ >